IRC Monthlyに、デジタル通貨について寄稿しました。
デジタル通貨は使われるのか
京都大学公共政策大学院 教授
株式会社伊予銀行 顧問
岩下 直行
「いずれ現在の通貨は使われなくなり、デジタル通貨にとってかわられる」という主張を、最近よく耳にするようになった。中国のデジタル人民元に触発されて、日米欧の中央銀行はデジタル通貨の技術研究を活発化させている。エルサルバドルや中央アフリカはビットコインを法定通貨に採用した。日本では民間銀行主導でデジタル通貨を発行しようという動きもある。はたして、近い将来、我々はデジタル通貨を使うようになるのだろうか。
実は、現時点では、デジタル通貨とは何なのかについて、共通の理解があるとは言い難い。中国のデジタル人民元は、公的機関がキャッシュレス決済のサービスを提供しているようなもので、民間のスマホ決済の亜流のように見える。日米欧の議論でも、誰がどうデジタル通貨を利用することを想定するのか、未だに不明である。エルサルバドルに至っては、2021年9月に法定通貨と定めたビットコインを大量に購入し、その半年後に相場が急落したため、大きな含み損を出したと報じられている。
デジタル通貨を巡る議論が盛んになった背景には、ビットコインがある。ビットコインが世界中で保有された結果、国境をまたいだデジタル通貨での送金が容易になった。2013年の欧州金融危機で国際送金が規制された際に、ビットコインがその代替手段として利用された事例は有名だ。ランサムウェアや違法薬物売買などでも、匿名性のある決済手段として利用されることがあるようだ。しかし、これらの例はあまり健全な通貨の使い方とは言えないだろう。
実際には、ビットコインは相場の乱高下が激しく、投機的な目的で保有されることがほとんどだ。日々の経済活動に伴う決済手段としては使い物にならない。しかし、得体のしれないビットコインですら、国際的な資金移動に利用できるのだったら、ちゃんとした機関が同じようなものを作れば、ビットコインの良さと現金の良さを併せ持つデジタル通貨が作れるのではないか、という着想から、デジタル通貨論議が進んでいるように思う。
しかし、ビットコインが特別な後ろ盾もないのに世界中で保有されているのは、非中央集権的な構造を持つからだ。もし誰かがビットコインの発行に責任を持ち、システムを支えているならば、その責任者を規制するなり訴えるなりして、不正な取引や反社会的な目的の利用を差し止めることが出来てしまう。ビットコインは、それができないからこそ、犯罪者や反社勢力でも安心して利用できるし、敵対的な国に住んでいても資産を凍結される恐れもない。それは、誰かが責任をもって発行する、現金や銀行預金とはそもそも違う性格を持つものなのだ。
だとすれば、まっとうな経済活動を行う個人や法人が、現金や銀行預金の代わりに、デジタル通貨を利用するようにはならないのではないか。今後、商店の店頭でのキャッシュレス化は更に進むだろうが、個人も法人も、支払いの準備のためには、デジタル通貨ではなく、これまで通り現金や預金を保有することを望むだろう。
(IRC Monthly 2022.9)