今日は週末でもあるので、仕事とは関係ない話題です。私はNHKのeテレが好きでよく観ていますが、ピタゴラスイッチの中に「ぴきひきびきのうた」というのがあって、日本語の数の数え方についてコミカルに伝える歌が時々流れています。Youtubeにも動画が掲載されていますが、カエルのアニメが楽しいです。
確かに、カエルを数えるときに、1匹2匹3匹…というけれど、この読み方は1ぴき2ひき3びきと発音します。同じように、1本2本3本とかも、不思議な発音をします。これ、別に学校で教わった記憶はないけど、子供の頃から習い覚えた読み方で、特に難しいとは思いません。でも、外国語として日本語を学習する人からしたら、これはいったいどんな法則に基づいているのか、不思議に感じると思います。
匹の読みは「ヒキ」だけど、①先行する数詞が1、6、8、10、100などの場合は促音化して「ピキ」と読む、②先行する数詞が3、1000、10000などの場合は濁音化して「ビキ」と読む、③先行する数詞が2、4、5、7、9などの場合は変化せずに「ヒキ」と読む、ということは、まあ日本語話者なら誰でも知っていることだと思います。とはいえ、どの数に対して促音、濁音、そのままにするのか、ルール化は難しい。②の濁音化は、三、千、万など、数詞が「ん」で終わるときの特徴のようですが、四(ヨン)は「ん」で終わるのに4匹はヨンヒキですからね。①の促音化は、一、八のような「ち」で終わる数詞か、六、百のように「く」で終わる数詞のときの特徴のようですが、七(シチ)は「ち」で終わるのにシチヒキです。今はナナヒキと読むことのほうが多いでしょうか。
こういうのは理屈じゃないので覚えるしかないものですが、何故こうなっているかについては色々な説があるようですね。特に3と4は並んでいて一字違いなので、注目されやすい。ネットの掲示板には、「「-ん」は-mと-nの2種類あって、3と4の「ん」は違う音だ。唇の動きを見ればわかる」なんて解釈が出てたりします。確かにサンビキ、ヨンヒキと声に出して読むと、「ん」で口を閉じるかどうかが違いますが、それは次にヒキと繋げるかビキと繋げるかの違いであって、サンビキ、ヨンビキと発声すれば、どちらも唇は閉じます。3と4の「ん」が違う音だなんて意識は現代の日本語話者には全く無いので、どうやら誤りらしいことが分かります。「-mと-nの2種類ある」というのは本当ですが、それは日本語という言語の成立過程で生じた話ですから、現代の3と4の読みに影響が残っているということはないでしょう。
ここでのポイントは、上に挙げた例外である四(ヨン)と七(ナナ)は、訓読みする数詞だということです。数字って、普段は音読みとか訓読みとかを意識はしないですが、実は我々が使っている数詞は基本的に音読みです。体操とかランニングのときの掛け声で「イチニッサンシー、ゴーロクシチハチ」と数えるのは、全て音読みです。ただし、4はシ、7はシチなので、間違いやすい。そこで、現代日本語では、訓読み(大和言葉)の「ひーふーみーよー、いー(いつ)むーなー(なな)やー」から「よー(よん)」と「なー(なな)」だけ借りてきて、「いちにさんよん、ごーろくななはち」って数えるようになったのですね。だから、古くからある熟語では四をヨンとは読みません。四季、四方、四国、四天王なんて、みんな「シ」ですよね。北方四島とか四人組とかは「ヨン」「ヨ」ですが、これは多分最近作られた言葉だからでしょうね。4をシと読むと「死」を想起させるので、忌み言葉として嫌われてヨンと読むようになった、と説明されることもありますが、それはシという読み方が長年続いてきた事実と矛盾します。むしろ、現代になってから、数の誤認防止の目的で読み方が変更されたという説明のほうが説得的だと思います。
こうして4をヨンにしてしまえば、7はシチでもナナでも誤解は生じにくいので、こちらはあまり徹底されていなくて、現代日本語でも混在してますね。七福神は古くからある熟語で「シチ」ですが、七草粥は大和言葉から来ているので「ナナ」なのでしょう。
このように4をシからヨンに替えたのが比較的最近なのに対し、4匹とか4本とかの読み方は古くからあったので、元々はシヒキ、シホンと読んでいた数詞の方だけを変えても、匹、本の読みは変わらなかった。だからヨンヒキ、ヨンホンになったと考えられます。読み方の変遷というのは証拠が残りにくいので、いつ生じた話なのかはわかりにくいんですが、多分明治以降の学校教育の影響じゃないかと思います。
ただまあ、この「数詞の読み方だけを変える」というアプローチはちょっと中途半端なので、「「ん」で終わる数詞の次は濁音化する」というルールを維持する人もいたようです。現代でも、それは方言として残っています。私が以前赴任していた山口県では、実際、ヨンビキ、ヨンボンと発音する人が多かったですが、いかにも原理原則を重んじる長州人らしい方言だと思いました。