私は、京都大学公共政策大学院の同窓会「鴻鵠会」の担当教員を務めています。担当といっても、時々、イベントで挨拶したり、会合に同席したりするくらいですが。
「鴻鵠会」は立派なウェブサイトを持っていて、これまで、担当教員としてそこに登場はしていなかったのですが、この度、挨拶文を掲載していただくことになりました。「鴻鵠会」の名乗りのもととなった中国の故事について短文を書きましたが、こちらのサイトにも転載しておきます。
挨拶
同窓会担当教員 岩下直行
鴻鵠会会員の皆様、実務家教員(日本銀行OB)の岩下直行です。公共政策大学院の同窓会担当を務めております。どうぞよろしくお願い申し上げます。ご挨拶のメッセージを求められましたので、日頃思うところを申し述べたいと思います。
司馬遷の史記に登場する「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉はあまりに有名です。鴻鵠会は、この古典に基づいてその名が付けられました。
大きな鳥は小さな鳥には分からない遠大な志を持っているのだというこの言葉は、今日的な視点からは、上から目線という誹りを受けてしまうかもしれません。公共のために尽くすという観点からは、大きな鳥こそ小さな鳥と心をひとつにし、お互いに分かり合うことが必要だというのが、今風の望ましい姿のように思います。
ただこの言葉の来歴をもっと詳しく知ると、ちょっと異なる印象を持ちます。この言葉を発したのは陳勝。秦の始皇帝が亡くなった後、中国史上最初の農民反乱である「陳勝・呉広の乱」を起こした首謀者です。
紀元前209年に反乱を起こした陳勝は、翌年に討伐軍に攻められて敗死します。結局、陳勝の抱いた鴻鵠の志が完遂されることはありませんでした。ただ、この反乱の中で、陳勝はもうひとつ、有名な言葉を発します。「王侯将相、寧んぞ種有らんや」つまり、王・諸侯・将軍・大臣となるかどうかを決めるのは血筋ではなく、誰でも実力次第でなれるのだという、当時としては大胆な発言でした。この陳勝による反乱が秦帝国の瓦解のきっかけを作り、後の漢王朝を生み出すことになります。司馬遷は、こうした陳勝のチャレンジャー精神を評価して、史記の中に、貴族たちの記録と並んで、陳勝のエピソードを記録したのでしょう。
変化の激しい現代において、公共政策の分野でも、前例にとらわれない改革が求められています。鴻鵠会会員の皆様には、その名にあやかり、遠大な志とチャレンジャー精神をもって、遺憾なくその実力を発揮されることを願っております。