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日本銀行券の改刷

公開されたイメージ図

報道によれば、麻生太郎財務相は9日の閣議後会見で、政府が千円、5千円、1万円の各紙幣(日本銀行券)の刷新を閣議決定したと発表したという。

一緒に、右に掲げた写真のような図案を発表したようだが、これはモチーフを並べたイメージ図であろう。実際の発行は2024年、5年後のことである。これから、国立印刷局の手練れが、この写真を細密なエッチングに起こし、何度も試行錯誤を重ねて原案を作っていくことになる。凹版印刷による肖像の偽造防止効果は引き続き期待できるだろうから、イメージ図のような写真ではなく、手書きの細密画が描かれることになるだろう。

お札の肖像に描かれる人物については、日銀下関支店時代の地元での講演で、こんな話をしている。

田中絹代ぶんか館 夏休み特別企画 「お札になった文化人」(2010年7月28日)

同じテーマで、新聞での連載に短縮版を掲載したりした。

ナゾと推論16「お札になった文化人」(2011年1月5日)

この文章を書いてから9年も経つ。渋沢栄一は文化人とは言いにくいから、今書くなら内容を直さないといけないが、実業家を肖像にする事例は世界的にも珍しいかもしれない。

慶應義塾出身者としては、福沢諭吉先生がお札の肖像でなくなるのはちょっと悲しいが、福沢諭吉は渋沢栄一翁と長きにわたる親交を持ち、世間の評判に屈することなく一心に実業の発展に取り組んだ渋沢について、「飽くまでも其初志を貫て遂に今日の地位を占め、天下一人として日本の実業社会に渋沢栄一あるを知らざるものなきに至らしめたるこそ栄誉なれ」と讃える文章を残している。

また、津田梅子の父、津田仙は1867年、勘定吟味役小野友五郎の随員として福沢諭吉らとともに渡米しているし、北里柴三郎は、慶應義塾大学医学部の創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長であって、福沢諭吉と深い交流があったことが知られている。

このように福沢諭吉が紙幣の肖像から消えたとしても、彼の影響は明治以降の日本にあまねく及んでおり、肖像の人物にも伝わっているから、それを悲しむ必要はないのかもしれない。