トークンエコノミーという用語を使っている人の多くは、ICOで発行されたERC-20トークンとかが、「通貨として使われる」ことを当然の前提として話しているけれど、QRコード決済を普及させるにも、デジタルディバイドに配慮しなければならないと言われているのに、そんな難しいことを一般消費者ができる訳がないと思う。銀行券や銀行預金が通貨(現金通貨、預金通貨)として信頼され、決済に使われるようになるために関係者がこれまで積み上げてきた苦労を知る立場としては、「通貨を甘く見るな」と言いたくなる。
ということで、トークンエコノミーという用語が嫌いだったのだが、最近、全然別の意味のトークンエコノミーという言葉を聞いて、ちょっと認識を改めた。それは、主に特別支援教育において、障害のある子どもに対して行う療法の一つとして、「トークンエコノミー法」という手法が利用されているという説明だった。
色々と学術論文も出ているれっきとした専門用語であり、こちらの方が歴史が古く、1970年頃の論文のタイトルにも利用されている。私がたまたま検索で目にしたのは次の論文だ。
須藤 邦彦、「自閉性障害児におけるトークン・エコノミー法による援助行動の獲得と般化 : 家庭や学校場面への連鎖を達成する随伴性の整備」
この論文では、研究対象となった自閉性障害児に、スタンプなどのトークンを与えることで、他者を助ける援助行動への介入を行っている。介入によって援助行動は促進されたのだが、対象児童が「ごほうび」であるスタンプに、模様を書き加えるよう求めたという報告が印象的である。対象児童がそれぞれ持つ「こだわり」を利用することが、援助行動の強化に有用であるとしている。
ブロックチェーンやICOの文脈でトークンエコノミーを論じる時も、例えば地域社会での相互扶助的な行為へのちょっとしたお礼としてトークンを渡し合うといった事例が示される。それはそれで面白い試みだし、全国の地域通貨で試行されているのも、そうした用途が多い。それはまるで「トークンエコノミー法」を地域社会の利他行動に適用しているかのように見える。
しかし、上記論文の報告で児童が求めたように、人々が本当に欲しがるのは、単なるスタンプではなく、自分専用にアレンジされた「ごほうび」なのではないか。それは例えば名前の書かれた感謝状やトロフィーであったり、たったひとつしかない記念の品だったりするのだろう。業界団体の代表者が勲章を求めるのも、同じような行動に見える。
私がいぶかしく思うのは、地域社会のためといったキレイごとから語られ始めるICOトークンが、結局は、単に値上がりするもの、お金と交換できるものとして取り扱われていることだ。それは、「人々の善意をプログラムする」といったキャッチフレーズとは裏腹に、人々のお金への欲望をプログラムしただけのように見える。もし人々の善意だけであれば、世界全体で、1年半で3兆円ものICOが発行されることはなかっただろう。膨大な金額のICOによって、人々の相互扶助や利他行動が高まったという話は、寡聞にして聞かない。
上記の「トークンエコノミー法」の論文に登場する児童たちは、ごほうびを受け取って微笑み、自発的に援助行動をとるようになったという。ICOでトークンエコノミーと言っている人たちは、どんな表情でトークンを受け取っているのだろうか。