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ナゾと推論32 旧暦のナゾ

 日銀下関支店長 岩下直行

来週、下関の赤間神宮では、先帝祭が開催される。先帝祭は、1185年(寿永4年)3月24日(旧暦)の壇ノ浦の戦いで入水された安徳天皇をとむらうための行事だ。この日は新暦では1185年5月2日に当たるので、毎年5月2日から3日間が先帝祭となっている。大型連休と重なり、下関海峡まつりとして大勢の観客とお祭りを楽しむ日であるとともに、帝のご命日に参拝する敬虔な日でもある。

◆赤間神宮(右)と安徳天皇陵の門(左)

このように歴史的な事件の日付をきちんと旧暦から新暦に換算して日程を定めている伝統行事は珍しい。日本が旧暦から新暦に改められたのは明治5年12月のことである。それ以前に起きた歴史的事件の日付については、便宜的に旧暦をそのまま新暦と読み替えるのが通例で、実際に事件が起きた季節との間にずれが生じてしまうことが多いものだ。この点、先帝祭は、八百数十年前の初夏に、関門海峡で源平の合戦に決着がつき、幼い天皇が入水されたまさにその日に、毎年参拝を行うところが意義深いと思う。

新暦と旧暦の関係は難しい。暦の仕組みそのものが違うので、日付だけの単純な対応付けはできない。例えば、お盆には7月15日前後の新盆と8月15日前後の旧盆があるというけれど、この日付は厳密に換算されたものではない。旧暦の7月15日が新暦の8月15日に必ず対応するという訳ではないのだ。

旧暦では月の満ち欠けを基本にして1カ月を定めるが、それだと1年を12カ月とした場合に短かすぎるので、太陽の運行を考えて修正を加えている。具体的には、19年に7回、閏月を設けて1年を13カ月としている。この結果、新暦と旧暦のズレは年によって異なってくる。

逆にいうと、年月日がはっきりしていれば、その日が新暦と旧暦で何日であるかは明確なので、換算することができる。壇ノ浦の合戦が起きたのが、旧暦なら3月24日、新暦なら5月2日というのは、1185年という年を限定したから言えることなのだ。

昭和59年までの先帝祭は、旧暦の日付を1カ月遅らせた4月24日に催行されていた。下関では、雛祭りでも端午の節句でも、1カ月遅れで開催する慣例があったから、それに倣ったものだったのだろう。それが変わったのが、壇ノ浦の戦いからちょうど800年目にあたる1985年(昭和60年)だった。この年、天皇の使者、勅使の来訪を、帝の正確なご命日にお受けするために、当時の関係者が相計り、現在の日程に改められたのである。その結果、先帝祭、源平船合戦、八丁浜踊りを一体とした下関海峡まつりが生まれ、かつ、帝の命日に合わせた行事日程となった訳で、とても良い判断であったと思う。

(2011.4.27日 山口新聞掲載)

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