日銀下関支店長 岩下直行
下関市中之町にある引接寺(いんじょうじ)は、開山450年の浄土宗のお寺だ。藩政時代は朝鮮通信使を迎え、日清講和の際には清国側使節団の宿舎となった。
引接寺の本堂は戦災により焼失し、最近再建されたものだが、三門は1769年建造のまま残されている。この三門の屋根の裏側に、差し渡し2メートル近い、大きな木彫りの龍が据えられている。それと知らなければ通り過ぎてしまうが、門の真下に立って見上げれば、龍の鋭い眼光に思わず身をすくめることだろう。
水神である龍は建物を火災から守るともいわれ、寺社建築の意匠には珍しくないが、天井に木彫りで一体の龍を据える様式は珍しい。この龍は、江戸初期の名工、左甚五郎作という伝承もあるらしいが、三門の建造年代とは合わない。住職を訪ねてお聞きしたところ、現在の地に寺が建立されたのが1598年なので、その時期には合うとのこと。ただし、当時甚五郎はまだ3歳だった計算になるため、実際は別の人が彫ったんでしょうな、と住職は笑っておられた。
ところで、来年のえとでもあるこの「龍」という伝説の霊獣は、かつて実在したワニに起源をもつという説がある。これは、爬虫両生類学の専門家である青木良輔が、『ワニと龍』(平凡社新書)という著書の中で唱えている仮説だ。
青木良輔は、中国の古典文献の記録や、発掘された化石を専門家の視点から分析し、かつて中国に広く生息していた温帯性のワニ、「マチカネワニ」が龍の起源と推定している。体長10メートルに及ぶ巨大なワニで、性格は虎や人間を捕食するほど凶暴だったらしい。このワニは気候変動や人類による殺りくの結果、絶滅したが、その絶滅が中国における「龍」の神格化をもたらしたというのだ。「龍」という字は、この巨大ワニの姿をかたどった象形文字で、「月」の部分が牙の生えた下向きの頭を、旁(つくり)の部分は体と尻尾を表しているという。そう思って眺めると、頭の大きなワニを横から見た形に見えてくる。では、残る「立」の部分は何だろうか。
これは「辛字冠飾(しんじかんしょく)」と呼ばれる部首であり、古代の刑罰に用いた入れ墨用の針の象形にあたる。この部首を入れることによって、文字で表された対象を封殺するための呪詛(じゅそ)の記号らしい。凶暴なワニを当時の人々がひどく恐れていたため、文字の中でも呪いをかけたのだという。
巨大ワニが絶滅した後の時代に、「龍」の文字からその姿が想像されるようになると、この「立」の部分が身体の一部と誤認されて絵に描かれた。その結果、元のワニにはなかった角が、龍の頭に描かれるようになったのではないか、という推理は、とても説得的で面白いと思う。
(2011.1.12日 山口新聞掲載)
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