日銀下関支店長 岩下直行
下関名物のひとつにクジラ料理がある。これを懐かしく感じるのは、私が小学生のころ、小学校の給食に、「クジラの竜田揚げ」のメニューがあったからだ。多分、当時はクジラ肉が安く大量に流通していたのだろう。濃い目に味付けされた、ちょっとかたい揚げ物だったが、食い意地の張った小学生からみればご馳走であり、私も大好物だった。もし可能なら、また食べてみたいと思っている。
ところで、この竜田揚げとは、クジラに限らず、魚や肉などを醤油とミリンに漬けて、片栗粉をまぶして揚げたものをいう。ではなぜ、それを竜田揚げと呼ぶのだろうか。
ポイントは、揚がった時に、醤油に漬かった素材が薄い衣を透かして赤く見えるところにある。この赤を紅葉の色に見立て、紅葉の名所、奈良の竜田川にちなんで竜田揚げという名前を付けたのである。誰が付けたのかは知らないが、随分洒落た命名だ。
竜田川といえば、小倉百人一首にも選ばれた在原業平の和歌が有名である。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは
この歌の大意は、竜田川の水面が紅葉に覆われて赤く染まっている様は珍しいことだ、というほどのことである。「ちはやぶる」は神に係る枕詞。
ところが、これが落語「千早振る」のネタにされると、男女の悲劇が歌い込まれた和歌ということになってしまう。長屋のご隠居が知ったかぶりをして即興で八五郎に語る珍解釈は次のとおりだ。
まず、竜田川は相撲取りの名前である。その竜田川が一目惚れした花魁(おいらん)の名前が千早。その妹分の名前が神代だ。
竜田川は千早に言い寄るが振られてしまう(千早振る)。それではと神代に言い寄るがこちらもいうことを聞かない(神代も聞かず)。失意のうちに相撲取りを廃業し、豆腐屋になった竜田川は、偶然に千早と再会する。千早は花魁から身を持ち崩し、食べる物にも困る身の上となっていた。千早は豆腐屋の竜田川からオカラを貰おうとするが、竜田川はかつての冷たい仕打ちを思い出してオカラをくれない(カラくれないに)。千早は世をはかなんで井戸に身投げしてしまう(水くぐる)。
こうして部分部分を解説していくと、最後に「とは」が残る。この「とは」は何かと八五郎に聞かれて、ご隠居が苦し紛れに「とは」は千早の本名だ、と答えるのが落語の落ちである。
私はこの話が大好きで、宴席で竜田揚げが出る度に話題に出している。何より、ご隠居による即興の創作が秀逸だと思う。
(2010.12.1日 山口新聞掲載)
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