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ナゾと推論2 長州の空は美しい

日銀下関支店長 岩下直行

司馬遼太郎の「花神」は、大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた長編小説である。大村は、農民階級の出身でありながら、蘭学を修めて西洋兵学の専門家となり、幕末の四境戦争では長州藩の参謀として、続く戊辰戦争では官軍の参謀として活躍した。この幕末の軍事的天才は、長州の祖国防衛戦争を勝利に導き、明治政府の陸軍創建に大きく貢献したにもかかわらず、その地味な人柄を映じてか、地元山口県でも話題に上ることが少ないように思う。

その「花神」の中に、印象深いエピソードがある。大村がまだ江戸で幕府講武所の教授を務めていた頃のことだ。長州に倒幕の野心があるのではと疑う幕臣が、大村に、「長州はいったいどういう国だ」と尋ねた。これに対し大村は、「防長二州は、空のうつくしい国です」と答えたというのである。その幕臣は、この突飛な答えに拍子抜けし、それ以上の追求はしなかったらしい。この問答は、大村が政治的な質問を煙に巻くためにあえて詩的な言葉を返したとも解釈できる。しかし、大村は長州の山河を愛していたので、ひょっとすると本心からそう答えたのかもしれない、と司馬遼太郎は書いている。

このエピソードがどこまで史実なのかはさておき、「長州の空はうつくしい」という主張をどう理解すれば良いのだろうか。空の眺めは気象の変化により日々変化するけれど、地方ごとの差はさほど大きいものではない。この場合、地形や植生までも含めた、風景としての空のうつくしさのことだと理解するべきだろう。

広い平野や単調な海岸線を持つ地方においては、空は背景にすぎない。例えば、関東平野で誇りとされるのは、遠く見える霊峰富士をはじめとする個々の山であって、背景である空に特別の感慨を持つことはあまりない。これに対し、山がちで、出入りの多い複雑な海岸線を持つ長州のような地においては、空は山肌や海面に囲まれて、風景の重要な構成要素となる。山の緑と海の青がうつくしければ、空もまたうつくしく見える。大村が長州の空について言いたかったことは、そういうことだったのではないか。

東京に住んでいた頃、ビルの谷間から見上げた空がうつくしいと思うことなどなかった。しかし、山口県に来てからは、坂道を登りながら山肌越しに見上げる空の青さや、夕暮れ時の海峡の空にかかる虹色の雲に、思わず息を呑むことがしばしばある。私はその都度、「花神」に描かれた大村のエピソードを思い出して、ひとり納得するのである。

(2010.9.29日 山口新聞掲載)

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