法人企業の契約や各種公的機関への提出書類に、署名捺印をするのが我が国の慣行だ。印鑑は、漢委奴国王の金印などからも分かるように、古代中国にその起源をもち、その周辺国に文化として広まった。日本の明治以降、様々な公的書類にハンコを押す文化が形成され、それが現代にまで続いている。
一概にハンコといっても、様々な種類がある。
1.法令によって署名捺印が必要とされているもの。
2.公的機関に提出する書類等の書式に「印」の欄があり、そこに法人や個人が押印するもの。
3.民間企業同士の契約や見積り等の際に取り交わす書面に慣行として押印するもの。
4.民間企業と個人との契約や各種手続きにおいて、個人に押印させて本人確認や契約の意思の確認に用いるもの。
5.宅配便の受け取り、出勤簿、ラジオ体操の参加証などに、慣行的に押印しているもの。
6.個人が芸術や趣味として印章や印影を楽しむために利用するもの。趣味のスタンプ、落款印等。
これらのうち、6.は今後も文化として残っていくだろう。日本画や書道作品への落款印は高度に芸術性の高い世界だ。
5.は、実質的には何の意味もない行為だけれど、慣行として残っていきそうだ。ただし、立派なハンコが押されていても、実際には荷物は配達されなかったかもしれないし(そういう事件は良く起こっている)、出勤もしなかったかもしれない。本当にそれを確認したいなら、別の対策を講じるべきだし、ハンコでいいということは、何もなくてもいいということだろう。宅配便については、ITで解決する仕組みが整備されつつあるので、そちらのほうがよほど信頼できる。
1-4.は、ハンコに実質的な意味を持たせようとする使い方だが、ハンコさえ押せば、本人確認ができるとか、本人の意思が確認できるとか、内容の改ざん防止ができるという訳ではないので、これまた仕組みとしては不完全なものだ。署名印、割り印、捨て印、印紙の消印など、ハンコを使った様々な形式があるけれど、ハンコは本人であることを証明しないし、改ざんやコピーも容易である。印影から印章を作ることも、3Dプリンターがあれば造作ない。いや、既に30年も前から、「印影を持ってくればソックリの印章をお彫りします」というサービスがあった。それによって不正にコピーされた印章が犯罪に利用される事件も再三起きている。
実は、「もうハンコは認証制度として終わっている」という趣旨の論文を私が最初に書いたのは1999年のことだ。
2000.04.01 金融業務と認証技術:インターネット金融取引の安全性に関する一考察
実印と印鑑証明という仕組みがあったとしても、ハンコのほうを偽造すればいくらでも不正が働けるのだから、認証制度として信頼できるものではないのだ。だから、ハンコではない、より信頼できる仕組みを作っていこうとして立法されたのが電子署名法であった(電子署名及び認証業務に関する法律、平成十二年<2000年>法律第百二号)。これは、実印レベルで必要とされるハンコの代わりに、情報技術的に安全性が確保されたデジタル署名方式を利用するために制定された法律である。しかし、その仕組みが複雑であったため、多くの人々はハンコの存続を望んだ。そのまま、実に20年もの歳月が流れてしまった。
ハンコを廃止しようという議論が盛んになったのは、2010年代の後半であった。ハンコの存在が、日本企業の事務効率化を阻害している。業務の電子化を阻んでいる。デジタルガバメントの構築の障害になる。様々な批判が繰り返し行われてきたが、しかし、世の中は頑として変化しなかった。
この間、私がハンコについて書いてきた投稿を以下に整理しておこう。
時代が動いたのは、2020年のコロナ禍による外出自粛をきっかけとする。不要不急の外出を自粛し、在宅勤務を続ける会社員が、会社のハンコを押すために出勤しなければならないことが問題となったのだ。経済団体からの要請もあり、政府の規制改革推進会議ではハンコの廃止のための活動を強化した。
2020.04.30 規制改革推進会議 議事録(第4回 2020.4.13)
民民の契約は電子契約サービスに移行が進みつつある。実は、公的機関への提出書類にハンコを要求しているものが多いことが問題とされた。これへの対応策は、今後、関係府省で検討され、自治体も含めた広範なハンコ廃止の動きが広がっていくことだろう。中には、法律改正が必要なものもあるかもしれないし、運用で対応できるものもあるだろう。長らく課題とされてきた、日本だけに残った旧弊、ハンコは、こうしてようやく業務目的での義務付けが廃される緒についたのである。
とはいえ、上記 1-4.の全てについて、ハンコの廃止を一気に進めることは難しいだろう。1.は別格としても、2-4.については、実印相当が必須のものは電子署名法に基づく電子契約サービスへ、そうではないものは、本人確認等の要請のレベルにもよるが、基本は「押印しない」「押印欄は空欄も可とする」といった運用で進めていくことが考えられる。
日本はコロナ禍の第一波をなんとかやり過ごしたが、第二波、第三波がいつ来ても不思議ではない。我々に残された時間はあまりないのだ。長年、関係者の不作為によって放置されてきた旧弊を、できるだけ早く取り除かなければならない。関係者の覚悟が試されている局面だ。